晴天の雷電

日常の発見。Out of the blue

嵐の最中にて

あけましておめでとうございます。

生きてました。

前回の投稿から1年以上も経過してしまいましたが、また最近気まぐれに更新してみたくなったので、久々に重い筆(もといキーボード)を執って文章を書いています。

あの気まぐれの投稿以来、色々なことが公私ともにありました。

中でもこの世の中の情勢。

これを実感していない人間はおそらくいないのではないかと。

本当に何も変わっていないのならば、そんなあなたは理想郷のような場所で仕事に励んでいることでしょう。(羨望の眼差し)

 

 

街行く人々のシルエットはまばらになり、肌寒い風がシャッターを下ろした店前を吹き抜けていく光景が如実に目の前に反映されている今日この頃。

夜になるとさらに人々は姿を消し、店の明かりも少なく、家路がさらに寂しい。

そこかしこに当たり前のように存在した、人、人、人!

彼ら/彼女らは一体どこへ消えていったのか。

あの当たり前のように目にして、感じていた光景は幻だったのか。

月明りに照らされた夜遅い帰路で、誰もいなくなった町を歩いていると、人間一人一人がいかに矮小な存在であるかを認識させられる。

そこにあるのはただの無機物と有機物、聞こえてくるのは吹きすさぶ夜風と車のエンジン音、感じるのは目に見えない未知の恐怖。その目の前の1molの粒子の中に、古代ローマカエサルが吐いた吐息の分子が理論的に存在するように、確実にその脅威が含まれているのだ!そして、やつは己の強壮な肉体だけでなく、いつしかその崇高な精神をも蝕むようにじわじわと人間を侵略しているのだ!

貴方の進む道は暗く、そして深い霧の中。あたりは何も見えない。確かな希望もない。

しかし、貴方は希望するであろう。その心に風前の灯が最後の輝きを放つその瞬間まで辺りを照らすことを止めないように、胸の中の光明を絶やさずに突き進むのみ。さすれば、霧自ずから消え去り、彼方に暁の光が見えるであろう。

 

 

と、まあいささか詩的な表現になりましたが、未来の人がこの社会情勢を歴史に学び、創作小説を書きたいと思ったらこのような文章で始まるんじゃないか?
と勝手に想像するのでした。

未来からアクセスしてきたよ、というジョン・タイターばりの人類の方がいらっしゃったら、ぜひ感想をコメント欄に残してもらいたいところです。

思うことは色々あります。ただ、今はやっぱり耐えるしかないのか、という自分の非力さに嫌悪感を抱きながら無為な日々を送っております。

表面上の生活は海の中にいるような静かな環境ですが、心の中は疾風怒濤の如く、色んなものが嵐のように渦巻いております。

トルネードのような竜巻は、中心部で猛烈な風が吹き荒れていますが、しかし日本で毎年のように発生する台風のような場合は、ご存じのように突き抜けるような青空と晴天をその中心である目の区域にもたらします。

願わくばこの吹き荒れる嵐が安寧と幸福をもたらしますように。

 

令和3年1月