まず初めに。
艦これ春イベ2021お疲れ様でした。ゲージが多くて手間取りましたが、個人的には満足でした。
そして、ここがタイトルと絡むのですが、新たに邂逅できるようになった特務艦宗谷をゲットしました!
はい、宗谷です!
これまで揚陸艦の神州丸や工作艦明石は邂逅までにものすごく時間がかかりましたが、今回はゲージ割ってる最中に出て、これはラッキーという感じでした。
ここからが本題で、ふとネットを漁っていますと、船の科学館にて南極観測船の宗谷が展示されているという情報が目に飛び込んできました。
↓以下、ホームページで詳細を確認できます。
https://funenokagakukan.or.jp/#tppgid02
その時は頭の片隅にとどめておおいたのですが、緊急事態が明けてずっと家にいるのも辛いものがあるので(在宅勤務は中々体にも精神にも応えるんです・・・・)腰を上げて行ってきました!
その電車内でナナシスライブの吊り広告が!
思わず一枚パシャリ。私も2日目のアリーナが取れたので、すごく楽しみにしております!帰りの電車でも見かけましたね。
そんなこんなで東京テレポートから歩いて15分くらい?で船の科学館に到着しました。
しかし、本館は残念ながら休館中。。。。。このご時世なので致し方ないですね。また再開したら足を運んでみようと思いました。
そして、肝心の宗谷は、その橙色の船体を東京湾に浮かべながら、曇り空の下でゆったりと佇んでおりました。台風が近づいてるとのことでしたが、海面は穏やかでした。
今まで見てきた戦艦や巡洋艦は基調が黒だったりするものが多かったのですが、宗谷は橙色というその色柄からも特殊さが垣間見えました。
ご丁寧な案内に従い、宗谷見学へ!
側面からの一枚。三笠のような圧倒感はないですが、比較的近づきやすい印象でした。
受付のお姉さんから宗谷の紹介が書かれた1枚のパンフをもらって船内へ!ちなみに入場料は無料でした。
船内の写真はほぼ撮っておりませんので、実際に足を運んでその雰囲気を感じてみてください。個人的に、食堂や執務室、士官室の昔ながらの木造様式の机や棚が昭和の香りを醸し出していました。そういったどこか懐かしく、心地良い匂いも漂う船内での生活はどうだったのかと想像せずにはいられませんでした。祖父母の家がこんな感じなので、謎の安心感がこみあげてくることもありました。機関室や操舵室といった、「艦」ならではの造りも一見の価値があります。(好きな人は好きだよね(笑))
↓は2階の船橋から前甲板を撮った一枚。
↓は後部甲板。
日の丸が風ではためいていました。
かれこれ1時間半くらいかけてじっくりと船内を回って出口へ。日曜日でしたがほとんど人がおらず(ちょっと寂しいかも。。。)、じっくり細部まで見ることができました。
ここで宗谷についての紹介を簡単に。(今更)
昭和13年に建造され、戦後は在外邦人の引き揚げ船・灯台補給船として活躍した後、昭和31年より日本初の南極観測船として以降、6回南極を往復しています。船の科学館にて一般公開が開始されたのは引退の翌年昭和54年からのようです。
え、西暦じゃないとわからない?そんな人は梨花ちゃんの話をしっかりと聞きましょう。
(ひぐらしのなく頃に解より)
太平洋戦争が終わったのが昭和20年、。。。。。
→1945年のことです。
後はちょっとした計算をすれば答えが出ます。
それでもわからない?そんなあなたは。。。
「お前は山奥で焼かれて死ね」
「お前は睡眠薬で自殺しろ」
「死ね 死ね みんな死ね」
こんな暴言を吐かれる前に、いっぱしの知識は身につけましょう。
ちなみに筆者は今やっている業とか卒を見ていません。8月に一気見する予定ですので、ネタバレは悪しからずご了承願います。
話を戻して。
南極での気象観測や地質調査等、理系ごころをくすぐられる研究を行っていたようで、船内の展示室でその内容が詳しく見れました。そもそも、今から60年以上も前にかの極寒の南極の地で観察を始め、そこでの生活を可能にしてしまう技術が凄いと思いました。感嘆したという方が正しいですね。
帰る際に、思わず募金箱にチャリン。
そうすると”宗谷”見学記念の、名刺サイズのカードが貰えました。
大事にしまっておきます。(犬がかわいい。)
そんなこんなで宗谷を見るためだけに臨海部に行ってきたのでした。またこの地に来る時はコミケが開催されていて欲しいものです。世間を取り巻く報道に一喜一憂することから離れて、揺れる船の上でじっくり思いを馳せてみるのもいかがでしょうか。
P.S. 宗谷が停泊しているすぐ横の建物は警視庁湾岸署。ドラマとかでよく出てくる場所ですね。最近あまりドラマ見ないのですが、撮影などに使われているのでしょうか。お立ち寄りの際はぜひ。
2021年6月某日